異質感

こんにちは。

暑かったり寒かったり、まだまだ気温が安定しない日々ですね。
春のはじまりは、なんか夏や秋の雰囲気も感じませんか?お得ですよね。

 

 

今日は休みだったので、柏に行ってきました。
柏駅周辺って吉祥寺みたいですね。ランクを下げた吉祥寺。パチンコ屋の主張が強い吉祥寺。
ちなみに津田沼はレベルを下げた立川って感じです。
「人混み苦手だけど田舎は嫌い」という人は千葉にの北西部に住むのはいかがでしょうか。

 

柏のマルイに行ってきたのですが、あそこは地下にヴィレッジヴァンガードイエローサブマリンが隣接しているんですよね。あとゲーセンもある。
サブカルチャーが地下に密集しています。雰囲気が中野ブロードウェイっぽい。
駅前は吉祥寺で、屋内は中野。おもしれー街、柏。

 

 

 

学生時代はヴィレヴァンによく行っていた私も、今はホビーショップにしか行かなくなってしまった。いつの間にやらヴィレヴァンの雰囲気があまり好きではなくなった。
ヴィレヴァン自体がどうこうより、ヴィレヴァンにいる客層が「なんか私と違うな」と感じて、店内にいるとなんかソワソワする。

 

なんというか、深夜のドンキにいるときと同じ気持ち。店のことは嫌いじゃないけど、そこに存在する客達が自分と違う。だからといって、客達のことが嫌いなわけでもない。ただ、自分が異質に感じられることに居心地の悪さを覚えるだけだ。

 

 

生きれば生きるほど、自分が異質に感じられる場所が増えていく気がする。

 

子どもの頃は森羅万象が自分の一部だという感覚があったような気がするけど、今では「自分という存在はどこまでいっても孤独なままだ」という感覚が強い。
孤独であることが悪いではない、という確信も年を重ねるごとに強くなっているから、感覚の変化に関して悲観しているわけではないけれども。

 

みんなはどうなんだろう。自分だけが周りから浮いているような気持ちを抱いていたりするんだろうか。それに対してどう思うのだろうか。
そういえば、“みんな”という言葉を使うときに、私はその中に自分自身を含んでいないな。
集合体の中に自分が含まれるようなイメージがない。でもこれ、他の人もそうか?

 

 

いつからこうなったんだっけ。
“世界“という領域と自分は別の存在だと思いはじめたきっかけはなんだったんだ。

 

全く思い出せない。過去のことを何も覚えていられないな。
そういえば、周りの人間が世間話として思い出話とかエピソードを話せることに驚いたことがある。私は3日間ほど時間をもらえないと、過去の話を他人にわかるように話せない。
過去の話をしなければいけないとき、思い出せないときは他人の話していた過去の話を流用していた気がする。それすらも覚えていない。もちろん、経歴詐称等はしてないです。

 

過去の事実は覚えていても、その時の感情とか感じたことを思い出せない。
だからすごく、箇条書きのような話し方になってしまう。
でも世間話において、重要になるのは事実部分ではなくて、心の動きの方だから。事実だけ話しても会話は盛り上がらない。まあ、別に盛り上げる義務はないのだが。
なので、自分と似たような経験をした他人の話し方を真似することが結構ある。私は他人のトレパクで生きています。周囲の人間にはどう映っているんだろう。バレてるのかな。

 

 

 

柏に行ってきたという話から、こんな話題になってしまった。
今回はもっと明るい日記になると思ったのだが。
思いつきで書いているから話が自分でも予想外の方向へいく。
ジャズと同じ。

 

自分が異質に感じられる場所が増えたといったが、サーティワンとスタバもそう。甘いものがどんどん食べられなくなっていく。クレープ屋も最近は行きづらい。
ミスドだけだ。ミスドだけが私の最終防衛ライン。残りの人生はハニーチュロだけを食べつづける。

 

あ〜〜〜。ポッピングシャワー食べてバナナのフラペチーノ飲みた〜〜〜〜〜。

 

 

みなさんもご自愛して、ハニーチュロをいっぱい食べましょう。私と運命を共にしてくれ。
もしくはチョコバナナフラペ飲んだら感想教えてくださいね。
美味しそうだったら頑張って買いに行きます。